この言葉は、次のような故事が語源です。
「昔、中国北方の塞(とりで)近くに住む占いの巧みな老人(塞翁)の馬が、胡の地方に逃げ、人々が気の毒がると、老人は「そのうちに福が来る」と言った。
やがて、その馬は胡の駿馬を連れて戻ってきた。
人々が祝うと、今度は「これは不幸の元になるだろう」と言った。
すると胡の馬に乗った老人の息子は、落馬して足の骨を折ってしまった。
人々がそれを見舞うと、老人は「これが幸福の基になるだろう」と言った。
一年後、胡軍が攻め込んできて戦争となり若者たちはほとんどが戦死した。
しかし足を折った老人の息子は、兵役を免れたため、戦死しなくて済んだという」
この言葉の意味は「人生における幸不幸は予測しがたいということ。安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえ。」です。
もう少し深く解釈してみましょう。単に、「幸せと不幸が交互にくるのが人生だ。」ということではなさそうです。今、幸せだからといって何の努力もしないでいると、いつ不幸が襲ってくるか分からないという戒めや、今、不幸だからといって嘆き、何の努力もしないでいると、次にくるはずの幸せを逃してしまうという教えがあると思います。 この言葉は、私たちに「明日(未来)に向かって、油断したり怯えたりすることなく、今できることをしっかり行うことが大切だ。」ということを教えてくれます。